2007年7月アーカイブ
shiology: 962-070619 MacOS Xの言語モード や、ringo-sanco | ホントにサクサクになるMac OS Xの英語化、:: Blog!NOBON | MacOS X を「英語モード」で快適操作:) :: にならって、自分も英語環境にしてみた。
うーん、確かに快適かも。しばらくこれで使ってみようっと。
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モンスター ペアレンツ の検索結果 約 806 件
やっぱり、「ペアレンツ」の方が正しいと思うんだけど、
今からでも遅くないから、「ペアレンツ」を推奨しませんか?
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何もかも疑ってかからないといけないというのも、気持ちよくないなぁ…。
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…というわけで、早くも「続編」が掲載された。
「J-CAST テレビウォッチ : 国分太一くん、オレも左利きなんだ」
つまりは、
- 実は自分自身も、左利きである
- 直すのに苦労し、娘も直した
- でも、右で箸を持つのは「マナー」であり「作法」
- 「タレント」であり「役者」なんだから「マナー」を大切にするべき
…ということなんだそうだ。
うーん、やっぱりちょっと違うぞ。
一応、エントリー立てた責任もあるので、以下、引用しつつ私見を書いてみる。
小さいころ左手の箸について厳しく注意され、直すのにものすごく苦労した。娘も同類だったので、特殊なスプーンを買ってきて右手で箸が持てるようにした。だから、左利きの人を非難したり、軽蔑したりするつもりはない。
「直す」という表現をしている時点で、「左利きが非難されるべきもの」ということが前提になっているんだけど。
右手で箸を使ったほうがいいと思うのは、それが食事のマナー、作法だと考えるからだ。日本の文化では右手で箸を持つのが食事の作法とされてきたし、箸の置き方や料理の配膳の仕方は、右手で箸を持つことを前提にしている。
なんで右手で箸を持つことが前提とされているかというと、それは「右利きの方が多数だから」ではないのかしら? 少なくとも、今の世の中で「矯正」することによる弊害がいかに大きいか、という部分も考えて頂きたいところ。(参考:左利き 矯正 弊害 - Google 検索)
※っていうか、左利きについて「矯正」という言葉を使うこと自体、間違っていると思っているんだけど…。
この前、太一君が主演した「しゃべれども しゃべれども」という映画を見た。若い落語家という役どころを見事に演じていた。その落語の世界では、箸はかならず右手を使うように訓練する。型として決まっているということもさることながら、左手でそばを食ったら別の人物になりかねないからだ。 桂米助という落語家がいる。根っからの左利きで、矯正するには非常に苦労したらしい。あるとき、彼が出演した「隣の晩ごはん」というテレビ番組でうっかり箸を左手にもってメシを食ったところ「噺家の風上にも置けない」と、ふだんは温厚な師匠の米丸からこっぴどく叱られたという。
これはまぁ、異論なし。だけど、
太一君には役者として大成してほしい。テレビを見ている多数の視聴者に対する影響力も考えると、日本の食文化にのっとったマナーを大切にしてほしいと思うのだ。今回はそんなことが念頭にあったので、つい言葉に勢いがついてしまったのかもしれない。
というのはやっぱり違う。
これでは、「役者は右利きでなくてはならない」ということになってしまう。落語の世界は詳しくないけれど、左利きの物語が今までになかったのなら、その人物は右利きであるから演じる側も右利きでなくてはならないのはわかる。だけど、現実の世界には左利きはたくさんいる。無理やり直される人が減ったぶん、より多くなったと感じている人も多いはずだ。左利きの役者が「実在する右利きの人物」を演じるためには、右利きを演じなくてはならないということはあるだろう。だけど、「ドラマや映画には、左利きの人が登場しない」ということになったら、それこそ不自然で不気味なことだとは思わないだろうか?
世の中で左利きが「主流」ではないことは百も承知。別に優遇して欲しいとは思ってないけれど、結局「否定」されてしまうのは、やっぱり悲しいのだ…。
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タイトルの刺激的な言葉は、元テレビプロデューサーの横澤彪さんが書かれているブログ「J-CAST テレビウォッチ : 国分太一くん、箸は右手で持とうよ」の締めの一文。
大ざっぱに言うと、
- 国分太一の好感度が高い
- ただ一つ残念なのが、食べるときに左手で箸を使うこと
- 今からでも遅くないから、箸は右手で持とう
- 左手は ケツを拭く手だ 箸持つな
…ということんなんだけど、まぁ、予想通りコメント欄は炎上状態。生まれてこのかた、右手で箸を持ったことがない僕としても、あの横澤彪さんがこんな発言をしているということ自体、大きなショックだった。
確かに左利きは不便である。ハサミ、電話、自動改札、パソコンのマウス、カメラ…、基本的に世の中で左右非対称の道具や機械は、すべて右利き用に作られている。右利きの人間が多いのだからそれは当然のことであある。だけど、そこには「左利きが悪」という論理はない。
まだ箸も持てない頃の僕は、親がビスケットを右手に持たせると、いつの間にか左に持ち替えて食べていたそうだ。それを「矯正(というなの強制)」しなかったことに感謝すらしている。
小学校の書道の時間、先生に「書道は右で書くものです!」と怒られたこともあった。それでもこっそり、先生の見ていないところで左手で筆を持った。
初めて左利き用のハサミを手にした時、「ハサミってこんなにも簡単に紙を切ることが出来るものだったのか!」と感心したものだった。僕にとってのハサミは、「親指を外側に引っ張りながら、中指と薬指を内側に押し込む」という不自然な力を使って、初めて紙を切ることができる道具だったからだ。
横澤さんの発言は、性同一障害の人間に「違和感があるから外見上の性別で生活しろ」と強要していることと同じである。僕は左利きとして育ったことを後悔していないし、むしろ誇らしく思うこともあるけれど、少なくとも自ら望んで左利きになったのではないのだ。人間が先天的に持って生まれたものを「違和感がある」という理由で糾弾する権利は誰にもない。メディアの送り手という立場の人間ならなおのことだ。もちろん、個人的な感想として違和感を覚える人がいることは否定できないだろう。放送局のプロデューサーや番組のディレクターが個人的にそう思うのなら、彼らを起用しなければいいだけの話だ。
それでも、国分太一君の「食べる」行為をテレビで観ることが多いのは、彼が「美味しそうに食べる」から、そしてその映像が「数字が取れる」から。そういう理屈をしらないわけではないだろう。そこに違和感を覚えるのは「右利きは正しい・左利きは間違っている」という、前時代的・差別的な教育を受けてきた人たちだけだ。
「テレビで堂々と左利きの人が食事するシーンを放送できる」
…こういう時代がきたことを喜ぶのが、テレビウォッチャーの正しい姿なんじゃなかろうか?
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