今年も異常な盛り上がりをみせた(らしい)「24時間テレビ」。
毎年話題になるのが、この「24時間テレビ」が偽善だ!というもの。
考え方は色々あるが、この膨大な制作費の無駄遣いによって、それ以上の成果があるのなら、それはそれでいいと思う。
人々が障害者や福祉問題に目を向けて、少しでも世の中がプラスの方向に向かうのならば、その制作費は「投資」であると言えるだろう。(実際、何をどうやっても矛盾を完全になくすことは不可能だしね。)
今年の「24時間テレビ」は、出張先の札幌のホテルでほんの少ししか観ていないが、少なくともそこで繰り広げられていたのは、「視聴者への寄附の強要」と「馬鹿騒ぎ」だった。
お笑い芸人にドッキリを仕掛け、プライベートの場だからこそ口にした先輩芸人への批判的な意見を、スタジオで糾弾するのだ。
これは単なる「いじめ」であって、バラエティーなら許されても、障害者への差別をなくすことが目的の一つでもあるこういう番組では許されるものではない。
「低俗なバラエティー」や「お涙頂戴の障害者逆差別ドラマ」ではなく、「真面目なドキュメンタリー」と「純粋なエンターテイメント」だけいい。
「それでは数字が取れない」という前に、視聴者の「質」を下げたのは一体誰なのか、今こそ真剣に考える時だ。
「偽善」か「善」かは、実はどうでもいい。
やるからには「意味のあること」をやる、それだけは譲って欲しくない。
24時間テレビは果たして偽善か?
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