タイトルの刺激的な言葉は、元テレビプロデューサーの横澤彪さんが書かれているブログ「J-CAST テレビウォッチ : 国分太一くん、箸は右手で持とうよ」の締めの一文。
大ざっぱに言うと、
- 国分太一の好感度が高い
- ただ一つ残念なのが、食べるときに左手で箸を使うこと
- 今からでも遅くないから、箸は右手で持とう
- 左手は ケツを拭く手だ 箸持つな
…ということんなんだけど、まぁ、予想通りコメント欄は炎上状態。生まれてこのかた、右手で箸を持ったことがない僕としても、あの横澤彪さんがこんな発言をしているということ自体、大きなショックだった。
確かに左利きは不便である。ハサミ、電話、自動改札、パソコンのマウス、カメラ…、基本的に世の中で左右非対称の道具や機械は、すべて右利き用に作られている。右利きの人間が多いのだからそれは当然のことであある。だけど、そこには「左利きが悪」という論理はない。
まだ箸も持てない頃の僕は、親がビスケットを右手に持たせると、いつの間にか左に持ち替えて食べていたそうだ。それを「矯正(というなの強制)」しなかったことに感謝すらしている。
小学校の書道の時間、先生に「書道は右で書くものです!」と怒られたこともあった。それでもこっそり、先生の見ていないところで左手で筆を持った。
初めて左利き用のハサミを手にした時、「ハサミってこんなにも簡単に紙を切ることが出来るものだったのか!」と感心したものだった。僕にとってのハサミは、「親指を外側に引っ張りながら、中指と薬指を内側に押し込む」という不自然な力を使って、初めて紙を切ることができる道具だったからだ。
横澤さんの発言は、性同一障害の人間に「違和感があるから外見上の性別で生活しろ」と強要していることと同じである。僕は左利きとして育ったことを後悔していないし、むしろ誇らしく思うこともあるけれど、少なくとも自ら望んで左利きになったのではないのだ。人間が先天的に持って生まれたものを「違和感がある」という理由で糾弾する権利は誰にもない。メディアの送り手という立場の人間ならなおのことだ。もちろん、個人的な感想として違和感を覚える人がいることは否定できないだろう。放送局のプロデューサーや番組のディレクターが個人的にそう思うのなら、彼らを起用しなければいいだけの話だ。
それでも、国分太一君の「食べる」行為をテレビで観ることが多いのは、彼が「美味しそうに食べる」から、そしてその映像が「数字が取れる」から。そういう理屈をしらないわけではないだろう。そこに違和感を覚えるのは「右利きは正しい・左利きは間違っている」という、前時代的・差別的な教育を受けてきた人たちだけだ。
「テレビで堂々と左利きの人が食事するシーンを放送できる」
…こういう時代がきたことを喜ぶのが、テレビウォッチャーの正しい姿なんじゃなかろうか?
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