敢えて問う「死刑の問題点」

「元少年」という表現はもう一度最高裁までいかないと変わらないのかとか、感情的に煽り続けてきたマスコミ報道の問題とか、気になることは山積みだけど、ここで敢えて「死刑の問題点」を考えてみた。

先日、6月公開の映画『休暇』を観た。結婚が決まっている刑務官が、新婚旅行に行く休暇をとるために、死刑執行の補佐役に名乗り出るという、まぁ、大雑把に言えばそんな映画なんだけど、要するに死刑を執行するということは、死刑囚を「殺す」人がいるということだ。
どんなにそれ(=死刑執行)が合法的であろうと、死刑囚がどんなに悪人であろうと、正常な感覚の人間に、第三者の命を絶つという行為が簡単に出来る訳がないという事実を突き付けられた映画だった。その事実を目の当たりにしただけで、僕のような死刑存続論者の気持ちも揺らいでしまうのだ。

兵隊が躊躇なく人を殺せるようになるまでには一ヶ月かかるという話を聞いたことがある。「殺さなければ殺される」という極限下でさえそうならば、死刑執行人の精神状態は果たしてどうなるのだろうか。

今回の判決は、あらゆる角度から「人を殺すこと」の意味を問うものだ。この判決を受けて、家族を殺された原告に「死刑になって癒されましたか?救われましたか?」と質問するということは、「理由はともかく、あなたも人を殺せることになりました。さて、癒されましたか?救われましたか?」と聞いているのと同じように感じてしまう。質問する側は勿論、そんなことは微塵も感じていないだろう。原告を目の前にして、感情移入するなというほうが難しい。
ただ、だからこそ、マスコミは冷静にならなくてはいけない。感情的で感傷的なマスコミと、冷静で論理的な原告。それじゃあ全くもってあべこべだ。

そんなアナタは、「それが仕事だから」と言って、3つ並んだ死刑執行のボタンの一つを躊躇なく押すことが出来るだろうか?

2014年1月

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